前回、理由のある不安の対処法について書きました。
その時の不安は何か引き金があって不安な気持ち+確認行動になりました。
3年前に感じた強烈な不安は引き金のようなものは思い当たりませんでした。
その時に強い不安を感じたことによって、不安とはどういうものなのかと考えました。
理由のない強い不安感
今から3年前ぐらいの1月のことでした。
夕方の六時ごろに、急に今まで感じたことがない不安が心の中で生じました。
原因は不明でどうしたらいいかわからない。
とにかく不安でした。
人生で感じたことがない不安、言葉にすることが難しい、ひたすら胸がザワザワ、ソワソワする。
テレビを観たり、何かで誤魔化すことも難しかった。
嵐が過ぎ去るのを待つしかない。それが2、3日ぐらい続きました。
言葉に出来ない、伝えることが出来ないのが歯がゆいです。「理由のない強烈な不安」としかいいようがありませんでした。
不安と向き合った
理由、原因があれば何か対処できそうなのですが、理由のない不安には対処することができませんでした。
とても不快な感情で、ただそれが過ぎ去るまで耐えるしかありませんでした。
原因不明の不安であったとしても、不安の存在価値を知った方が、耐えられそうだと思ったので、不安について考えてみました。
不安は生きている限りなくならない
不安は生存するために必要なもの
考えて至った結論は、危険(=死)を回避するために不安という本能的な機能がある、ということでした。
生き延びるために、どうしても危険を予測して回避する必要があります。
それが必要な機能でも、その感情に囚われてしまうのがとても苦しい。
しかし、生きている限りどうすることもできない。
「今を生きる」ために「死」を受け入れる
仕方ないから「死」を受け入れました。
人間は確実に死ぬという事を受け入れました。
まだやってこない「頭の中だけの危険(=死)」を回避しようとして「今を生きる」ことを妨げられるのなら「確実な未来の死」を受け入れることにしました。
それによって「今を生きる」ことを優先させて、消耗しないようにしようと思いました。
ゲームン材の不安という感情に対して、さらに大きな「死」をぶつけることによって、自分の中で不安を相対的に小さくしようとしました。
これをすることによって、今の不安な感情に比べたら死ぬことのほうがとても重大だと冷静になれました。
完璧主義も原因かもしれない
自分は完璧主義でした。だからなんでも完璧にしたいと思っていました。
それが可能だと思い込んでいて、なんでもコントロールしたがっていたのだと思います。
だから頭の中で予測してしまいます。
人間は不完全なので全てをコントロールすることは無理です。
そもそもコントロールしようとしたことが間違いでした。
だから死を受け入れる。
不完全であることを受け入れることも、不安の対処には必要なことなのかもしれません。
本能に支配されないために
強い不安への対処法は、どうしようもないものなので諦めるしかありません。
前回の不安に関する記事は理由のある不安だったので、「優先事項を設定+先送りにする」でした。理由なき強い不安はただ諦めるしかありません。
不安は生物としての本能ですが、大事な点は自分の意志ではない事に気付く事です。
本能は不安という感情を利用して人間をコントロールしようとします。
なので、それに振り回されず、冷静で理性的になるためには「死を受け入れて諦める」という考え方は、大事なのかもしれません。
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