自分は完璧主義でした。
完璧主義の時は、毎日綱渡りしてるような気持ちで、つらかったです。
最初は小さな事だったはずが、対人関係にも影響しはじめて、最終的には人とのコミュニケーションが苦痛になって対人恐怖のようになりました。
今はあることに気づいて納得したら、完璧であることへのこだわりはなくなりました。
結論は、「完璧にはなれない」ということです。
そもそも目標設定が間違っていたのです。
完璧主義者の子供時代
完璧主義の頃は、自分のことが許せませんでした。
何か達成出来ても、誰でも出来るくだらない事だと思っていました。小さなことでも失敗すると、世界が終わったかのように思えて、何日もそのことを引きずりました。
とにかく、自分のことが許せなかった。
上手く言えないけれど、許せないという表現が適切だったと思います。
とにかく完璧でいたかったし、いるべきだと思ったし、いなければいけないと思い込んでいました。
完璧主義の原因は親子関係かもしれない
今になって気付いた原因は、多分親子関係、家族関係にあったように思います。
- 父親は家庭を顧みなかった
- 兄は問題をよく起こして母親に迷惑をかけていた
- 下に妹がいたから自分はちゃんとしないといけないと思い込んだ
兄のようにはなってはいけない、だからといって妹のように親に甘えることもできない。
母親に迷惑をかけてはいけない。完璧でなければいけないと思ってしまった。
その時の心境を言葉にすると「ちゃんとしていないと親に愛されない」だったと思います。
完璧主義者にとっての失敗は、命を落とすこと同義
そういう考え方だから何かに挑戦することも億劫でした。
完璧であるためには失敗してはいけない、挑戦しなければ失敗することもない。
「失敗=親の愛を失う=見捨てられるかもしれない=命を落とす」
当時の頭の中を言葉にすると、こんな風に思い込んでいたと思います。
我ながら異常な考え方でした。
しかし、狭い世界で生きる子供にとって親というのはそれぐらい絶対的な存在だったから仕方がなかったと思います。
感情や欲求を抑圧する
甘えたり、わがままを言うことがあまりできませんでした。
わがままを言う事は、子供として当たり前のことですが、親の迷惑になりそうだったので言えませんでした。
仮に勇気を出して言ってみても、他の兄弟に比べて要求が通る事はありませんでした。
なので、無駄だと感じるようになって、自分の感情や欲求を抑圧するようになりました。
完璧主義が災いし、対人関係に不安を持つようになる
いつの間にか、親からの評価だけでなく親以外の人間からの評価も気になるようになりました。
友達は出来ても、深い仲にはなれない。
自分の欲求、感情を認められないから、自己開示したら嫌われると思いこんでいました。
だから、自分のこともあまり人に話さなくなりました。
しかし、それだけ自己否定的なのに小学校のころはたまに明るく振舞ったり、ムードメーカーっぽいところもありました。
でも、自信は無かったし誰にも心は開いていませんでした。
人の言葉や態度によって自分が揺さぶられるという感覚もあり、人と関わることは不安でした。
完璧主義から対人不信、対人恐怖へ
中学校ぐらいから人と関わることが、更にしんどくなりました。人と関わると、自分がどう思われるかが気になります。劣等感を感じてしまいます。
人間のことが信じらない。ちょっとした言葉でも自分をバカにしているのかと疑ってしまいます。
人の態度や言葉が気になって眠れない、何日も忘れられないとかもありました。 嫌な事をを思い出して眠れないことも数年前までありました。
自分が人からの言葉や態度に敏感だから、逆に自分の言葉や態度が人を傷つけ不快にしているのではと思ってしまい、コミュニケーションを取ることがさらに難しくなりました。
そのような考え方のまま中学卒業→高校卒業→仕事→退職→ひきこもりました。
ひきこもりになって完璧主義という異常性に気付いた
今まで自分は普通だと思っていました。そういう状態になって初めて、自分には何か異常があると気付きました。
向き合わざるを得なくなったので、自分で治そうと思いました。
時間をかけて向き合う中で、「完璧でないといけない」という考え方に支配されていると、初めて自覚することができました。
完璧主義になるために、何かで自分の弱さを補おうとした
その当時は、まだそれほど「完璧でないといけない」という考えに疑問を持っていなかったので、「自覚」して完璧になろうとしました。
ですが頭で考えて、自分自身のみで完璧になることは難しいと思いました。
なので、
- 何かと同化する
- 何かに依存する
- 何かを崇拝する
ことによって自分の弱さを補おうと思いました。
信じられるものは存在しない
拝金主義者になろうとしましたが、お金はただの紙であり道具だと気付きました。(キャッシュレスならデータ)
国家や企業などの組織を崇拝しようとしましたが、それらは人間にとって必要性があったから作り出された空想の産物だと気付きました
ならば宗教を信じよう。
だが自分には才能がありませんでした。参考になることはありましたが、信じられませんでした。
何故かと言うと、神の存在を証明できなかったからです。
完璧なら命を失うことはない
その後、人間関係によって自分の弱さを補おうと考えました。
しかし、それをしたからといって完璧になることは難しいと気づきました。
何故なら、人間は亡くなります。
どれだけ愛しても亡くなります。過度に依存するべきではない。
そのことに気付いたと同時にあることを理解しました。
人間は、弱さを創造性で補ってきた
人間は弱い生き物だ。
- 動物のように強い牙や爪もない
- 寒さを防ぐ毛皮もない
だから道具を作ってきた。
人間は一人だと何もできない、 だから
- 空想上の組織や肩書
- 階級
- 関係性
などを生み出して、集団の結束力を高めることによって、弱さを補って生きてきた。自分たちを大きく見せてきた。
人間の完全性へのあこがれ=神という存在の創造
人間は弱いから色々なものを創造してきた。
神という存在は、人間が不完全だからこそ生み出された。
もし人間が完璧なら、完全なら、神など必要ない。
命を落とす人間が完璧であるわけがない。
人間は完璧になれない。
何かと同化することによって、完璧になることも、弱さを補う事もできない。
完璧主義の克服
完璧にはなれない、なぜなら、いつか命を失うから、命を失う存在は完璧ではない。
当たり前の事なのですが、完璧になることは不可能なんだと心の底から納得出来ました。
少しがっかりしたけど解放された気分でした。
ダメな部分も含めて自分
その後、自分のダメな点を見つけても、それが即座に自分という人間としての価値とイコールでつながることはあまりなくなりました。
完璧にはなれないのだから、欠点の2つや3つあって当たり前だと思えるようになりました。
冷静になって、改善できるのなら改善すればいいと思うようになりました。
もし改善できなくとも、そういう点も含めて自分は自分だと思えるようになりました。
自分だけでなく他人も不完全であることを知る
他人が完璧に見えて劣等感を感じることがあっても、あまり気に病む事もなくなりました。
人間はどうしても弱いから、自分を大きくみせようとします。
- 衣服(所有物)
- 所属
- 肩書
- 所有物
- 人間関係
それらによって自分も他人も騙されます。
完璧主義のころは「自分=無条件で劣っている」という極端な考えだったので、他人によく影響されていました。
完璧主義が治ると昔ほど他人の存在が、自分より絶対的に優れていると思わなくなりました。
自分も他人も完璧ではない。
皆、同じように不安なんじゃないかと思うようになりました。
完璧主義というのはある面で長所
人として欠点を放置したままの人間より、完璧でありたいと思う人の方が好感が持てます。
完璧を目指したいという気持ちは間違いなく長所です。
ただ、極端だったり最低限の自己肯定感がないのが問題だと思います。
欠点のない人はいないですし、完璧な人に見えたとしても、生物です。
命に限りがあるので完璧ではありませんし、実際完璧になることもできません。
親の承認(愛情)を得られない自分を認められなかった
完璧主義は自分が望んだわけではなく、そういう環境だったからそういう思考になっただけでした。
自分は親との関係において、親から承認(愛情)を得ることは難しいだろうと思っていました。
なので、あえて最初から、完璧になるという不可能な目標を設定して「完璧になれない巨大な苦しみ」を生み出し、「親の承認を得ることのできない自分」という小さな苦しみを隠そうとしたのかもしれません。
完璧主義をやめるためには、完璧になれないことに納得し、諦め、手放すこと
人間が完璧になろうとする試みは、勝ち目のない消耗戦です。
完璧でない自分を責めたり、絶望したり、苦しむ必要はありません。
完璧になれない自分が悪いのではなくて、最初から目標設定が間違っているからです。
人生は有限です。
いつか終わります。
そんな存在は完璧ではありません。
完璧主義はとてもつらいです。
自己を認められなくなります。
他人の言動によって、簡単に自分の価値が揺さぶられてしまいます。
対人不安や対人恐怖にもつながります。
生きるのが難しくなります。
完璧主義をやめるためには、それが不可能な目標という事に心の底から納得して、諦め手放すことが大事だと思います。
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