関わってはいけない人といえば多くの人が一般的にイメージするのは、乱暴、暴力的と言ったものなのではないでしょうか。けれど私が思う関わってはいけないタイプはこれらとは違います。
結論から言うと他者のエネルギーを吸い取ろう、他者を利用しよう、出し抜こうという意識の強い、幼児性、陰湿な暴力性、侵襲性の持ち主です。
これは実際に経験したことや目撃したことです。
私はその人物が嫌われていたことを知っていました。でもそれは彼らの問題であるから、私はフラットに接しようとした結果年単位で不愉快で嫌な目にあってしまいました。
普通の常識が通じない、関わってはいけない人がいるのだなと痛感し、価値観が変わりました。最近トラウマ的なものが少し落ち着き、考えもまとまってきたので記事を完成させることができました。全てをつまびらかにすることは難しく伝わり辛いかもしれませんが紹介したいと思います。
異常な距離の近さ
まず距離が近いです。そして親切であるかのようにふるまいます。
ここだけだと気の良い人感はありますが、実際それと違うのは「圧」なんですよね。言葉にできないけど明確な圧があります。
「自分は良い人だ、自分は親切だ、自分の親切を受け取れ、そうするのが当然だ」というような愛されて当然という歪んだ自己愛という感じ。普通の人からは感じないような暗く強い圧を感じました。
自己中心性の例
前項の話の時点ではまだそこまでといった感じでしょうが、その人物は色々な人に嫌われていたようでした。
人とトラブルのようなものになり、そこでその人物は相手を罵倒しました。その人物に怒鳴られた方の言い分は正当に思えました。
罵倒するならよほどの事態であると私は解釈します。そしてそれをしたなら普通は関わらない、断絶するのが普通だと思ってますが、その人物はその後もずっと依存、甘え続け数年たち今に至ります。
やむをえず関わらないといけない相手であるならそもそも罵倒するのが異常ですしね。
もし私が同じ状況でその後も現状を維持しつづけるならば謝罪して和解することを試みます。でもそういうのも無いので私の感覚とは大きく隔たりがあると思いました。
また別の人物から嫌われ、その人物が怒鳴りつけられた時は事実を少し変えて自分が被害者になる状況で他の人に話していたそうです。
けれどその人物の異常性はすでに伝わっているので、望んだ同情や関心は得られなかったようです。
トラブルを起こした相手の関係者にも親切アピールしたりというのもありました。トラブルを起こした相手の関係者なんて絶対気まずいじゃないですか。普通に考えると話が広まっていると思うじゃないですか。
けれどそういう意識もないってことは自分の不快なふるまいは正当だと思っているか相手の感情を考慮していないということですよね。
根底には自分がしたことは全て正当で、された場合は全て自分が被害者という意識があるのだと思いました。
顔や容姿でわかるのか?
顔や容姿に関して言及するのはセンシティブですが、実際はあるのではと思います。少なくともその人物に関してはあると思います。
生まれ持った顔や背格好の造形にも出るには出るのでしょうが、その異常性の多くは目つきや表情に出ていました。
子供のような構ってほしそうな、甘えるような物欲しそうな潤んだ目つき
関わってすぐのころに感じた違和感は目でした。なんというか潤んだ構ってほしそうな物欲しそうな子供のような目つきだったのを覚えています。それは妙に気持ち悪い目つきでした。恋をした若い女性がそういう目をするならわかります。恋人同士で男性側がそういう目になっても理解できます。
異常であったのは大して親しくもないのにそんな目つきで、圧を感じさせながら近い距離で迫ってくる点でした。その時にあの年齢でこんな目、子供のような甘えた目を親しくも無い人間にできる人がいるのだなと思いました。私自身薄い人生経験や人との関わりではありますが、その人物と同年代の人との明確な違いに気が付きました。
ニチャーとして粘着質な笑顔、キマった目
他にも笑顔を向けられた時はさらに怖かったです。今思い出しても怖いですね。
一般的にイメージする笑顔の擬音ってニコニコとニコッとかですよね、その人物の笑顔は粘着質なニターとかニチャーといった笑顔でした。
そして目が正常な人間の状態の目には見えなかったです。キマった目って言えばいいんでしょうか。狂気、脳内麻薬による陶酔、獲物を捉える目、とにかく不気味で恐ろしい目でした。
例えるならストーカーが題材の映画で、いなくなってしまった標的を何年も探して偶然その人を見つけて目が合ってニチャーと笑い「見つけた」とつぶやくみたいなワンシーンでありそうな表情でした(演技では絶対にできない表情なんでしょうが)。
その表情一つとっても大して親しくも無いのにそんな顔でこちらを見ることができる脳内の状態が、常人とは違う仕組みをしていることの証明に思えました。
「偏見だ!笑顔に出るわけないじゃないか!」と思う人もいると思います。そういう人は試しに「アンドレイ・チカチーロ」と画像検索してみてください。ものすごく怖い邪悪な笑顔が見られますよ。やっぱり多少なりともそういうところに内面は出ると思ってます。
その人物の言動と笑顔や目つきの整合性は取れるように思いました。善良で人から好かれる人はあのような笑顔や目にはならないでしょうから。
その他の気になった点
この項目では詳細なエピソードでもないけど、その人物の異常だった点を列挙し、コメントや補足を行います
そこまで親しくも無いのに重い話する、しかも強めの言葉で極めて批判的
普通はしないような重たい身内の話もしてました。
悩みや苦悩、相談と言うよりは罵倒、レッテル張りでまさに感情の排泄といった感じでした。
百歩譲って親しくも無い状態でそういうことを話しても良いとしても、言葉を選ばない姿勢に問題があると思います。
もしも同じような話題を親しい相手に話す場合であっても、タイミングや言葉を選んで慎重に伝えようとしますよね。
関わりのきっかけが頼み事しかない
関わりのきっかけがほぼ全部頼み事でした。ああして欲しいこうして欲しい。時には嘘のように思えることもありました。もしも私が誰かと親しくなりたいのならその人の利益について考えると思います。そう思う人も多いのではと思います。
なので関わりのきっかけが頼み事であり、それがほとんどの場合そうであるということなら利用しようとしている、付け込む隙があるか判断しようとしていると解釈します。
言動に逃げや保身がある
言動のきっかけが頼み事なのも、断られないようにという逃げがありますよね。ほかにも偶然を装ったりとか、そういう逃げや保身を感じられるような行動が基本的にあるように思えました。
親切な人への面と向かった悪口や無視
親切にしてくれる人がいたとしても面と向かって悪く言ったり、無視をするなど不快な振る舞いをします。
これはいわゆる試し行為というものだと思われます。もしもそれが親しい間柄だったり、される側に恋愛などの関心がある相手ならば場合なら良い悪いは別にして、なんとなく納得はできますよね。ですがこの人物はそこまで親しくもないけど親切な人に行っていたようでした。
関係性や文脈が無い状況でそれをするのは理解できないですし、承認欲求のために行っているように思えました。おそらくそれを行っていた時のその人物はそれなりに気持ちよかったんじゃないかって思ってしまいます。(気持ちいいって気持ち悪い表現ですけどね。その行動はネチョッとした気持ちの悪い行動なのでそう表現するのが適切に思いました)
弱者、可哀想アピール
相手の関心を得るために可哀想アピールも行ってました。普通の善良で常識的な人なら、違和感を覚えつつも相手に親切にしてしまう場合がありますよね。
とても親しい間柄ならそういう相談があるのはわかりますよね。他人であっても救急車や警察を呼ぶというわかりやすい状況であるなら助けを求めるのもわかります。カウンセラーなど相談される職業であるならその状況もわかります。
でもそうでもないのにそんなことを言うのは不可解に思えませんか。それは他者を操作するための方法なのだと私は思ってます。
やたら声がデカい、デカすぎる
声がでかいといっても理解できる状況なら問題ないのです。スポーツの応援とか、耳の遠いお年寄りと会話しているとか、電波が悪い状況での通話とか。
「え、なんでその状況でそんなに声のボリュームおかしいの?」って感じでした。
伝え方にせよ、声のボリュームにせよ、色々なところに人間性って出るのだなって思いました。
トラウマの一例
すべてを書けないけれど、そういった距離の近さや偶然とは思えない頻度の視界の侵入や明らかに監視しているかのような振る舞いなどを2年ほどされてトラウマってほどではないかもしれませんが、気分が悪く、精神、肉体とも苦しくなりました。
どんなことが起こったのかいくつか紹介していこうと思います。
似たような顔を見ると不快になる
テレビや町中で似たような顔や特長を持った人を見ると不愉快になります。その人達は全く関係ないけど、条件反射的に嫌な気分になります。
野良犬に追いかけられて怖い思いしたら、しつけのしっかりした犬や盲導犬など全てが怖くなるみたいな感じでしょうか。
同じ車種が怖い
その人物が乗っているのと同じような車を見かけると不愉快になります。割と結構見るタイプなので凄く嫌ですね。だから自動車を運転するときは基本的に顔がわからないようにマスクをするようになりました。
とにかくお腹が痛かった
もう無くなりましたが、ストレスがお腹にくるタイプなのかお腹を内側に引っ張られる、つねられるような痛みを結構頻繁に感じていました。おそらくあれはストレスだったのではと思います。
思考が囚われる
これが一番つらかった。ずっとその人物や出来事について考えてしまうのです。嫌だと思っても止まらない。名前を呼ばれた時の声を思い出す、頭に響く?こともありました。
考えたくないのに気づいたら考えてしまっている。気分が良い時でもふと思い出して嫌な気持ちになる。
あまりに限界になってきたから開き直って「だからなんだよ」って思い出した時に頻繁に心の中で呟いていたらあまり出てこなくなりました。
思考ってループしすぎたらダメなんですね、あれこれ意味を持たせないことが良かったのかもしれません。なるべく無視するのがいいのかもしれません。
全てが消えたわけではないですが、多少楽にはなりました。
被害を最小限にするためにはどうすればいいのか?
最低限の挨拶、親切心などであっても都合よく解釈される
正直何故私にそういうことが降りかかったかと言うと、「普通に接した」からなんですよね。
話を見ても分かる通り、その人物が他者と安定的良好な関係を築くのって難しいと思います。人生で好かれることは無くても、他者から異常に嫌われるってあまり無いですよね。
だから他者の対応が基本的に厳しいものになるから、普通に接するとそれだけでも自分への肯定と解釈してしまうんでしょうね。
そういう嫌われという前提条件があって当たり前の挨拶程度でも強い肯定と解釈するのだから、最低限の親切や人間関係を円滑にするような振る舞いであったなら、より強い特別な意味や関心と解釈されるのは容易に想像できます。
だから世知辛いですけど親切だったり人間関係を円滑にするようなふるまいも人物を見てから行うなど、気を付けた方がいいという風になってしまいます。
信用できる人の意見を聴く
そういう出来事が我が身に起こったときに抱え込まず周囲の信用できる人に確認するとか、今ならAIに相談するなんかもよさそうですね。
その手の人物は相手の同情心や罪悪感を利用しようとしますから、それを客観的に判断してもらって自分は悪くないと理解することが精神的に楽になれるし、対処のためのエネルギーを温存できるようになります。
距離を取る
多分これが一番効くと思います。もう関わらないのが一番いいです。そうすればある程度の事は時間がかかっても楽になっていくと思います。
虫だと考える
結局自分と同じ人間だと思ってしまうから「何故?どうして?」とストレスになるんです。
人を虫扱いするなんてあってはならないことですし本当に良くないと思います。でもその人物は思考ではなく虫のような反射で生きている気がしましたし、そう考えると様々な不快な言動も整合性が取れるんですよね。
「虫だから仕方ない」そう考えると、あとはエサを与えない、居心地を悪くするなどの改善をするしかないです。
「なんで自分がそんなことを」ってなりました。でも虫相手に正論言っても意味無いし、腹が立ってイライラする。けれど、そうしないと安全に快適に生きられないので、うんざりでしたが、そうするしかないという点がやるせなかったです。
関わって損しかない人間って本当にいるのだなと思いました。
あなたは専門家でもなければ聖人君子でもない
大して親しくもない素人相手に可哀想アピール、それをあまり親しくない他人にできますか。私ならできないです。
プライドというとあれですけど、それなりに抵抗があるのが普通ですよね。
そもそも場違い、人違いな相談を専門家でもない聖人君子でもない親しくも無い人に言葉を選ばずすることが間違っているので、受ける必要はないと思ってます。それに人間ある程度生きたら伝え方が大事と理解するはずですから。
あまりにも苦しすぎてそうなるというのは誰でもありそうな話なんですけど、その人物のようなタイプに同情心を持つと面倒なことになります。
それで「自分はひどい人間なのでは?」と思ってしまうならまさにそれは相手の術中にはまっています。その手の人物は良心や罪悪感に付け込もうとしますから。
自分の無意識に浮かんだ言葉や直感を大切にする
知識や常識で判断するのも大切ですが自分の無意識や直感というのも大切ではないかと思います。
大して親しくない時に圧を感じさせながら親切アピールで近づいてきたときに私の心に「小学三年生」という言葉が浮かんできました。
別の時期にその人物の後ろ姿を見た時になぜあんなところに小学生ぐらいの子供がいるのだろうと思い驚き、すぐにその人物であったと気づきさらに驚いたことがありました。
もちろん生まれ持った体格ゆえにそう見えることってあるんでしょうが、成人の背中を見て子供だと思ったことは初めてでした。同じぐらいの体格の人を見かけてもそう思うことは無かったです。
若々しくはつらつとしているではなく、そこを通り越して小学校の低学年に見えたというのは異常なのではと思います。目は口ほどに物を言うとは言いますが、背中にも人間性や精神性は出るのかもしれないと思った出来事でした。
まとめ
ここで色々書いてきたその人物の精神性も成熟した大人というよりは子供、それも思春期や青年期の苦悩を経験していないように思えました。例えるなら小学三年生ぐらいでコールドスリープして、最近解凍されたみたいな感じでした。
その人物を年単位で観察、考察してみて、冒頭に書いた乱暴、暴力的とも違う関わってはいけないタイプの人間であると思うに至りました。
その人物の行動はおそらく悪意はないと思います。例えるなら子供たちにいくつかのお菓子の中から選ばせたら一番人気のあるお菓子を真っ先に取っていくような子っていますよね。子供は悪気なく自分の欲しいものに素直ですよね。
そんな感じの人物でした。他人を利用する出し抜こうとするのが基本OSの人なんでしょうね。
最後にまとめると
- 距離感が近い
- 高く、歪んだセルフイメージ
- 物事を極めて自分に都合よく解釈する
- 常に自分は被害者
- ナチュラルに他人を利用しよう、出し抜こうとする
- 人との関わりのきっかけが基本的に頼み事
- 言動に逃げや保身がある
- 親しくも無いのに極めて主観的で重い話を言葉を選ばずにする
- 試し行為
- 弱者アピール
- 大きすぎる声
- 同情や罪悪感を利用しようとする
- 目つき、笑顔の不気味さ
これらを見ると子供の特長と重なる部分もあるので、無意識に浮かんだ「小学三年生」という言葉もそれなりに正しかったのではないでしょうか。
私自身フラットに関わろうとか最低限の礼儀という大人な対応をした結果色々嫌な目にあいました。
人生の損失といっても問題ないレベルなので、やっぱりこういう人とはなるべく関わらない方がいいと思いました。私は無理やり教訓とか学びを引き出そうと思っていますが、基本的には得られる物ないですからね。


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