人間にとっての苦しみって色々あると思いますが、肉体的な苦しみを除けば、人から理解されない、わかって貰えないって結構苦しいことだと思います。
個人的意見ですが、人間が分かり合う事って難しいのではないかと思います。
わかってほしい!けれど・・・
人間はみんな自分のことわかってほしい生き物だと思います。自分もそうです。
人からわかってほしいです。理解して欲しいです。共感されたいです。
でも、難しいです
自分と相手の言葉の受け取り方が違う可能性がある
何故かと言うと、 ある言葉をAのニュアンスで使ったとしても相手が別のニュアンスで受け取る可能性があります。
例えば、
- 世間一般的の親、家族→ポジティブなイメージ
- 関係が悪い人にとっての親、家族→ネガティブなイメージ
その人の人生経験によって言葉のイメージに違いがあるという事を、頭の片隅に入れておかないといけません。
- 自分にとっててAというのは常識と思い込んでいる
- 相手がBと取るという可能性を瞬時に考えられない
- 自分の言葉全てを説明、定義していくのは難しい
目に見てわかること、数値化できることならそういう問題が起こりくいですが、心の中の問題のような抽象的な問題だと相手に伝えることは非常に困難。
理解できないのなら、無理に理解する必要はない
もしも、重たい悩みや苦しみを相談してみて「わかる」なんて軽々しく言われたら「絶対わかるわけないでしょ」って思ってしまう自分は、間違いなくひねくれもの。
共感して欲しい、わかってほしいと思いつつも、あまりにも軽く理解を示されると信用できないというジレンマ。
わかりあえないことよりも、理解しようという姿勢が大事なのかもしれない
わからないなら、いっそのことわからないと言ってくれた方がマシな場合ってある。
理解するフリよりは、「今の自分にはまだ理解することが難しい、時間がかかる。」と言って、正直に「わからない」と認めてしまったほうが信用できるし、自分もそうでありたいと思う。
大事な事は結局、「相手を理解する」ということよりも「理解しようという姿勢」なのかもしれない。
理解しあえない人間はいる
どれだけ向き合っても、どれだけ言葉を交わして、言葉の意味を説明してみても理解されない時もある。
そういう場合は相手が自分のことを理解するに値しない存在だと否定しているからだと思う。
そうなったら諦めた方がいい。
もしも、そこに自分が振り分けられてしまったら、諦めて関係を終わらせて、自分の事を理解してくれる人を見つける方が楽だし、無駄に消耗しない。
でも、なんでも自分の側に問題があると考えてしまう人は、自分を責めすぎて苦しくなる。
権威に騙されないようにしたい
自分の反省すべき点は反省すべき。
だけど、相手に問題がある場合も当然ある。
実際そういう人物は、空気を作るのがとても上手いので注意したい。 (個人の意見です)
- 相手に問題があるかのような雰囲気を出すのが上手い(罪悪感を抱かせる)
- 好き嫌い(感情)を合理的、論理的風に偽装するのが上手い
- 多数派工作(「〇〇も言っている(みんな言っている)」「常識だよ」など)
全部無視すればダメージ0なんだけど、自信のない人ってコロッと「自分が悪いのかも」って思い込んでしまう。(自分より相手の方が凄いと思い込んでいる場合だとなおさら→例:目上の人(親や教師、上司、先輩など)や友達が多いとか職業が凄いとか)
自分が悪いと思いすぎてしまう人が、たまに人のせいにしたからって世界は終わらない
「自分が悪い」って考えすぎてしまう人は、バランスを取るためにたまーに「相手が悪い」って考えてもいいと思う。
普通の人間がしたら問題だけど、
- なんでも自責してしまう人→ マイナス100の状態の人が、
- たまに他責→プラス10
したって、別に世界は終わらないし、何も悪い事でもない。むしろプラスマイナス0になってバラスを取れるまで他責したほうがいいかもしれない。
人間はいつまでも耐えられるわけではないので、明らかに相手に非がある理不尽な場合は身を守るため、たまに人のせいにしよう。
理解し合えたら儲けもの
途中色々脱線したけど、理解する、わかりあうことはとても難しい。
昔は、人に理解して欲しかったのですが、いつしかお互い理解し合える人に出会ったのなら、宝くじ一等×3当たったぐらいに凄い事だなーと思うようになりました。
寂しい事だけど、そう思っていれば苦しみは減るし、もしもそういう人と出会えたらとても大事に出来ると思うので「理解し合えたら儲けもの」ぐらいで生きていけばいいのかなと思います。
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