小学校4、5年生の頃の嫌いだった同級生の話です。
自分は彼のことを嫌っていたが、彼は自分に気付きを与えてくれました。
その気付きのおかげで人を嫌うとはどういうことか少しわかった気がします。
今でも忘れらない経験です。
竹の物差し振り回す危険なやつ
コミュニケーションがまともにとれなくて、他の人だったら怒らないような事で怒る男子だった。しかも怒ると、竹でできた物差し(定規)を振り回してくるから危険でした。
とても関わり辛かった。
そんな感じだったから、皆から嫌われていて友達もいませんでした。
自分も嫌いでした。
給食の時
きっかけは、給食の時です。
自分の通っていた小学校では、給食の時に机を班ごとに向かい合わせにして食べます。
けど、あれが凄く嫌だった。
目の前にも左右にも人がいて距離が近くて、前向いたら人と目が合う。だから、向かいあった人と目を合わせないように、その人の肩越しの向こう側を見てました。
必死に食べる彼を見て
そしたら、その嫌な男子が飯食ってる姿が見えます。
必死な食べ方をしていて、正直「きたねー」って思いました。
自分が見てることも気づいてないぐらい必死でした。
その様子をまじまじ見てたら、あることに気づきました。
忘れてたけど、彼は自分と同じ人間だった
「あぁ、お腹空いてたんだ、だから必死に食べてたんだ」
その時、自分もお腹が空くし、彼は自分と同じ人間だって気付きました。
嫌いになると、相手を自分と違う得体のしれないモンスターみたい考えていた。
でも、その嫌いな人もお腹は空くし、怪我すれば血が出て痛みを感じる自分と同じ人間だったんだ。
それからは、彼のことをそこまで憎たらしいと思えなくなりました。
諦めるようになった
その後も、嫌な人間と出会って不愉快な思いをしました。
けれど、どこかで「自分と同じ痛みを感じたり、弱さを持っている人間」という考えが頭をよぎって諦めざるを得なくなってしまいました。
それに人を嫌ったり憎んだりすることってものすごく疲れます。
できるなら気楽に生きていたい。
そういう意味でも、人を嫌うことの不毛さを早い段階で知れたのはよかったと思います。
でも、腹が立つ
そんなこと言っていても嫌なことされると、腹が立ってしまいます。
しかも感情的になっててる自分が嫌だったりします。
自分に原因があるのかとか、人を嫌ってる自分が嫌になって自己嫌悪に陥ってしまいます。
感情って曖昧だからしんどい
どうしても感情的に考えると、相手の謝罪か相手を同じ目に合わせるしか自分の感情の落としどころはなくなってしまう。
仮にそうなっても癒されないだろうと思います。
なんかモヤモヤする。
理由がわからないから腹が立つ
だから人の弱さとか、何故そういうことをしたのかとか、なぜ自分がそういう目に会わないといけないのか。
理由を求めて頭で納得したほうがマシだと思うようになりました。
理がないように感じるから腹が立つんだと思います。
その人を許してるとかじゃなくて、自分は言葉で苦しみとか不快感とかを認識した方が後に引かないっていうのもあると思います。
ただ、それはそれで納得できるまで嫌な事を考え続けないといけないから、しんどいです。
正直その理由が、自分になくて相手の気分とか性格の問題とか、たまたま自分がそこにいたからとか。
そんな事でも、自分なりの答えや理由がわかって言語化できると納得できて、そういう気持ちを手放すことができます。
でも、最近は不快な感情に向き合い続けるのがしんどくなったので、あまり考えないようになりました。
まとめ
この記事に、書かれてる嫌な人っていうのは、レベルでいうと、ちょっといやだなって人の話です。
もし、もっとやばい人(サイコパス)に出会ったら、こういう考えは全部吹き飛ぶかもしれません。
そういう人に出会ったら逃げようと思います。
相手は絶対に変わらないだろうし、妥協とか話し合いは無理だと思うので。
本当は、人を嫌ったりしないのが一番いいんだけど、自分は神や仏ではないので絶対に無理だと思います。
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