自分は6~7年ぐらい外出することが困難な時期がありました。
今は、買い物や図書館などの近場なら特に苦も無く外出することができます。
外出することが難しかった当時の自分の心境、そして外に出られるようになったきっかけ、久しぶりに外出した時の感覚などを書きたい思います。
個人的な意見、経験ですが何かの参考になれば幸いです。
ひきこもりが外出できなかった原因
根底にあったのは対人恐怖、社会不信
他人、社会への不信感、恐怖心がありました。
過去に人の言葉や態度に影響を受け、傷つきやすかったので人や社会が怖くなってしまった。
抱え込んで解決しようとした
そういう悩みを話せる相手もいなかったし、いたとしても理解はされなかったと思っていました。
なので、1人で抱え込むことになりました。
人に影響を受けない「核」のようなものが欲しかった
とにかく傷つきやすさを克服するために「自分」を確立する必要があると感じました。
人に影響を受ける事のない「核」のようなものが欲しかった。
とにかく自分の事がわからなかったので、自分と向き合いましたが、どれだけ向き合っても、ある程度までしか自分を知ることは出来ないと気付きました。
当時限界を感じた理由
人間は、他者と関わって、他者を通してなど、関係性の中でしか自分を知ることは出来ないのかもしれないと、今になって思います。
外出できるようにになった、きっかけは通院
心療内科(精神科?)の予約を、親が入れたのでそこに通う”必要”が出てきたから出られるようになりました。
病院が混雑していて、予約が取れたのが約3か月後という準備期間があったのも良かったと思います。
当時の心境
抵抗感、人に頼りたくない、自分は負けたという気持ち。あとは若干の安心感、解放感もありました。
けれど自分なりに長い期間向き合って、独力では難しかったので仕方ないと思いました。
もっと早くに、そういうきっかけがあったら良かったかもしれないです。
けれど、自己解決は難しいと諦めを感じていた時だったので、自分にとっては良いタイミングだったと思いたいです。
久しぶりに外出して、情報量の多さに驚く
外に出た時はあまりの情報量の多さに驚きました。
風、音、気温、におい、自動車の音、鳥などの動物、人の気配・・外の世界っていうのは沢山の刺激であふれていました。部屋の中は刺激がなかったから、それがとても新鮮でした。
外に出た時は物凄く景色がクリアに見えた事を覚えています。
その当時の感覚を例えるのなら、電気が流れていくような感覚。隅々まで電気が行きわたって脳が目覚めるような感覚でした。
今書いていて気付いたことは、母親の胎内から出てきた時も、あんな感じなのかもしれないって思いました。
久しぶりに外出すると疲れる
外に出た時の情報量、刺激の多さでものすごく疲れました。
なので、家に帰るとまた次の通院日まで出られなかった。
人の視線など、帰宅後に気になったりしたこともあったけれど、外出すること自体は脳への良い刺激になったので心地よさがありました。
小学校のプールの授業の後の、爽やかで心地よい疲労感に似ているかもしれないです。
ひきこもり脱出のきっかけとして通院は有効
ひきこもっていると、働いていない、外出することすらできない自分を責めてしまいました。ただでさえ無い自己肯定感がさらに無くなるという負のループに陥ってしまいました。
とりあえず、就労の事は考えず、外出するためのきっかけとして通院するということは、ひきこもり脱出には有効だと感じました。
ひきこもって自分と向き合った事は、社会と関わるための下準備
外に出ることに不安や恐怖を感じる事は、過去の記憶や経験に基づいているから、間違っているわけではありません。ただ、その当時の自分は、とても極端な世界観を信じていたように今の自分は思います。
外出していて、何か大きな不快な出来事や怖い事は別にありませんでした。
結局自分の力で脱出は無理でしたが、自分と向き合った時間は無駄ではなく、外出する際の下準備として必要でした。
全ての人間に当てはまる方法かは、わからないけれど、自分の場合はこういう風に出られる様になりました。
コメント