人間は仕方ない部分はありますが、他人と比較してしまいます。
けれど、度が過ぎると幸福に生きることが難しくなります。
幸福になるためには人と比較しないことが大事だと言われています。
言うのが簡単ですが、実際に行うのは難しいです。
この記事では、自分が劣等感に苦しむ中で生み出した人と比較しない考え方、理論(へりくつ)を紹介したいと思います。
「比較しない」は正しい
巷で言われている幸福論では、人と比較するなと書いてあります。
これは間違いなく正しいです。
でも実践方法とか書いてないので、分かりづらいと思いました。
どうすれば、人と比較しないで済むかを自分なりに考えてみました。
悪くない比較もある
最初に言っておきたいことがあります。
比較することは、必ずしも悪いことだとは思いません。
「あこがれを持ったり」「自分のだめなところを改善するため」の「劣等感の伴わない前向きな比較」なら問題なくて、むしろ良いことだと思います。
そうではない「劣等感を伴って精神を蝕む比較」が問題だと思います。
なので、悪い比較について自分の考えを書きます。
負のループ
物心ついた頃から生きづらさのようなものがありました。
自分の生きづらさは劣等感だけではありませんでした。
何個かあるうちの一つでした。
その何個もあった生きづらさが自己肯定感を奪いました。
その自己肯定感のなさが引き金になって、さらに強く劣等感を感じるようになってしまいました。
強く劣等感を感じると、自信を無くして、何かを出来なくなったり、上手くいかなくなります。
さらに人と比較して、また自信を無くすという負のループにはまってしまいました。
その結果、人からどう思われるのかが頭から離れなくなって、家から出られなくなりました。
散歩すら、コンビニすら難しくなりました。
「鳥と魚理論」
思考の負のループから抜け出すために、次の理論を思いつきました。
「鳥と魚理論」です。 (理論なんて格好の良いものではないが格好つけたい)
鳥と魚どっちが上?
鳥と魚どっちが上だと思いますか?
食材としてでもなく、 食物連鎖的な意味でもないです。
生物として、どちらが上でどちらが下なのか。
鳥は空を飛べる、魚は水中で呼吸ができる・・鳥は羽がある、魚はうろこがある・・。
この質問への答えは
「優劣をつけることはできない」
何故かというと、鳥と魚は脊椎動物ではあるが、住む場所や見た目、体の作りが違いすぎるから比較して優劣をつけることはできないからです。
種族(ジャンル)が違います。
同じ基準がないと比較はできません。
鳥が空を飛ぶことの出来ない魚をバカにしたら、魚は水の中で呼吸出来ない鳥を笑うだろうと思います。
動物の多様性は凄い
鳥でも環境ごとに違った進化を遂げています。
なので、鳥の中でも比較して優劣をつけることは出来ません。(例→ダチョウとペンギンとワシ)
人間の見た目に違いはない
人間は二本足で歩いて、手足が二本ずつ、指が五本。目が二つあって、鼻と口が一つずつ。耳が二つ顔の横にあって・・・・。
人間は残念ながら、鳥と魚ほどの見た目の大きな違いはありません。
しかし、人間同士が見た目が似ているからといって、単純に比較することは難しいと思います。
人間の内面ほど多様なものはない
人間は動物と違って精神と肉体の二つで成り立っています。
なので単純に外側(見た目)のみで評価することは難しいです。
人間の内面は動物の多様性と同じぐらい、それ以上の多様性を持っています。
性格、価値観、 家族関係、友人関係、 好きな食べ物、好きな音楽、好きな本、好きな芸能人、
嫌いなもの過去の経験、暮らしている国や地方の文化・・・etc。
人間の目に見えない要素を掛け合わせると、同じ人は一人として存在しません。
鳥と魚ぐらい種族が違います。
けれど、それを知ることは難しいのです。
見えないものを比較することは難しい
目に見えないものは比較することは難しいからです。
だから比較して優劣をつけることはでません。
人間は社会的な生き物です。
常に自分の立ち位置を気にします。
だから、わかりやすく数値化した基準を生み出して、違う人間同士を比較し優劣をつけたがります。
そして、その結果に一喜一憂します。
目に見える基準で比較して優劣をつけても、本当の自分や人としての正しさってわかりません。
その基準はその人のある一面でしかないので、全てはわかりません。
納得できないけど、異議を唱えられない
そういう基準がそれなりに正しいと自分で感じていても、なんだかよくわかりません。
誰が決めたのかわからない基準で、優劣を決められる事に納得できないのは当然だと思います。
社会的なわかりやすい基準とか数値って強力です。
みんな信じてるからひっくり返せない。
異議を唱えたら、空気の読めない奴と思われて、理解されることないと思います。
自分以外のものにはなれない
「自分と誰かは比較できない。種族(ジャンル)が違う。自分は鳥(魚)で相手は魚(鳥)。」
「鳥は水中で呼吸できないし、魚は空を飛べない。その必要もない。」
「ダチョウは必要だったからそう進化した。ペンギンは必要だったからそう進化した。ワシは必要だったからそう進化した。誰が上等とかない。必要だったからそうなっただけ。同じ兄弟(鳥の種類)でも環境ごとに違う進化をしているから、比較することはできない。」
そう考えることによって、自分は人と比較することは、ほとんど無くなりました。
全ては適応の結果
誰かの作った基準に従って、自分ではないものとして生きる事は苦難が伴います。
すべては生まれ持った性質や適応の結果です。
自分の得意不得意を自覚して自信を失わず、勝てる場所を探すのが大事なんだと思います。
その基準はご都合主義
鳥に魚の基準を押し付けることは、無意味。
その逆も無意味です。
人は他人より優位に立ちたがります。
自分が勝てる数値や、基準を押し付けているただのご都合主義です。
押し付けられたその基準は大体、好き嫌いや我田引水だったりします。
他人に惑わされないための第一歩
過去の記事にも書いたことだけど、「自分の頭の中は自分だけのもの」です。
だから、自分の評価や基準は自分で自由に決めればいいと思います。
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